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これは自分の中でまだうまくまとめきれていないんですが、いまだ文字主体であるネットでの文章の書き方には、ポジティブなコミュニケーションを起こものと、ネガティブなコミュニケーションを起こすものと、どっちも起こさないもの(無反応)の3種類が、わりと明らかに分かれて存在しているように感じています。

そこらへんの新聞や雑誌とか、2ちゃんねるの文章のほとんどは、ネガティブに繋がる文章になりがち。それは、多くが一方通行の伝達だけを目的とし、文体としては批判や告発的なものなど、ネガティブな感情を喚起するものがものが多いためだと考えています。

一方でポジティブスパイラルが起こせるのは、たぶん、ブログでもどんなメディアにおいても、1 to 1のコミュニケーションを頭の中でイメージしながら書けている人です。つまり画面の前には存在しない相手の反応を、うまく想像できているということです。自分から働きかける(巻き込む)にも、リアクションをする側に回る(巻き込まれる)ときも。

インスパイラル成城眼鏡店さんについて、いしたにさん@masakiishitaniが「接客がうまい店はソーシャルメディアもうまい」というような解説をされていましたが、そういうことに繋がる話で、またラジオとかミュージシャンのような、何かしら話す系商売の心得がある人が強いのかなあという印象を持っています。

それに対して、書く系の商売の人はマスコミ(非双方向、非対称)媒体向けの書き方が体にしみこんでいて、ネガティブスパイラル系か無反応系になりがちなのかなと感じます。私を含め。

一般的な掲示板とか、双方向コミュニケーションを前提に設計されたシステムを使えば、それなりに相手の反応の想像もできる気がするのですが。

m18e:

「えろえろ2」/「すき」のイラスト [pixiv] #m18e
若者がメモリ増設作業に4千円払う御年寄りを笑い、御年寄りが着物の着付けに7千円払う若者を笑う。
オタクがメーカー製の割高なPCを購入するリア充を笑い、リア充が仮想の女の子に高い金貢ぐオタクを笑う。
Lisperが他言語erを笑い、全言語erがLisperを笑う

会社の部下に

『君は細かい所に気が利くね』

と言い続けていると

その人は本当に細かい所に気を配るようになる。

レッテルは

人の意識にゆっくりと浸透し

その人を創造する。


『暗示』

『気づき』

『想い』

『言霊』

には驚く程、力がある。

占いは真の意味で、他人の運命を変える。


言葉には力がある。

言葉には魂が宿る。

言葉を扱う人は

その影響力を

その責任を

認知しなくてはいけない。

スパイダーマンだってそう言ってる。


でも、本当は

言葉は単なるキャリア(伝達媒体)に過ぎない。

言葉よりも概念的な

もっとプリミティブな何かを

僕らはちゃんと知覚できていないだけ。

他人の創ったものに素直に感動し、自分も何か創りたいと思う人はクリエイター向き。感動しつつここがこうだったらもっと良いのにと、つい考えてしまう人は編集者やプロデューサー向き。何でもすぐあら探しする人は、モノ創りには向いておらず、例えば漫画ならそう遠くない将来、読者ですらなくなる。

時間リッチな人と、時間プアな人では、お金の価値がまるで違う。


たとえば、予算20万円を使った旅行でも、

半年の休みをとれる時間リッチな人は、

あらかじめじっくりと時間をかけて旅行先の国の地理や歴史や文化の本を読み、

片言ぐらいには言語を話せるようにし、

ネットで十分な情報を集め、シーズンオフに格安の航空券を使い、

現地の味のある安宿をぶらぶらと泊まり歩いたり、

現地の露店マーケットの売り子さんや宿の人と片言で交流したりしながら、

気に入った小都市に長期滞在したり、現地で友達を作ったりしながら、

ゆったりとバカンスを楽しむことが出来る。


一方で、時間プアな人は、予算20万円の旅行でも、

連続して休みが取れるのはたった7日間で、実質現地で過ごせるのは5日間に過ぎず、

仕事の疲れもあまりとれないうちに、

都市や遺跡の歴史的背景も、現地の人々の文化や置かれた政治的立場もろくにわからぬまま

現地の人との交流もろくにないまま、観光名所をあわただしくまわり、

高級ホテルにとまって贅沢気分を味わうのが関の山だったりする。

いかにも貧しい旅行だ。

つまり、福島第一原発の放射性物質を安全に閉じ込めるためには「地下バウンダリ」と呼ばれるコンクリートの壁を地下に作る必要があるが、その見積もりコスト(1000億円)を正直に公開してしまうと、それを債務として計上する必要が生じるため、それを避けるために、「コストも工事の時期も未定」だと説明したい、と言っているのである。上場企業の経営者が、会社の財務状況を悪いニュースも含めてすべて公開することは義務であり、それを怠ることは「粉飾決算」にあたり、有罪である。1000億円とも見積もられる「地下バウンダリ」のコストと緊急性の公開を怠ることは、まさにこの「粉飾決算」に値する。特に「市場から債務超過に一歩近づいたと思われたくない」という動機に基づいた情報の隠蔽は、まさに「会社の財務状況を実際よりも良く見せよう」という行動であり、決して許してはならない重大な犯罪である。市場には、原発事故発生後(株価が暴落する前に)すぐに自社株を売り抜けた東電の経営陣がいるとの噂も流れているが(こちらはインサイダー取引疑惑)、そのあたりもふくめた公平で厳正な調査・処罰を期待したい。

まず最初になぜ、フランスがこんなにまで国を挙げて三陸かきを応援してくれるのかについて説明したい。

フランスにとってカキは、国民食といってもいいほど重要な食材なのである。

ほとんどの場合、殻つきで生で食べる。

あまり生食文化のないフランスであるが、カキだけは例外。

その理由は、古代ローマ時代にまでさかのぼる。

兵士の食糧として、沿岸部でカキの養殖を行いながら進軍し、英気を養った。

そのため、いまでもカキだけはそのまま生で食べる習慣があるのだといわれている。

そして、さらにはフランス人にとってクリスマスのご馳走といえば、誰しもが七面鳥よりもカキと答える。

とにかく国民すべてがカキを愛しているのである。

そんなフランスにおいて、1970年代にカキに病気が蔓延し、壊滅的な被害が発生した。

その際に、日本から宮城種(マガキ)が提供され、その宮城種は、病気をものともせず成長し、危機を救ったのである。

現在では、フランスの市場に流通しているカキの90%が、この宮城種の子孫となった。
(宮城種が入ってくるまでは、ヨーロッパヒラガキ(ブラン種)など薄いカキが中心だった。)

このため、フランスのカキの関係者はみなこの事実を知っており、
「1970年に日本が助けてくれなかったら、いまのフランスのカキ業界はない。だからできることはなんでもする。」と口ぐちに言ってくれるのだ。

1970年代以降も、フランスおいては、ほぼ10年ごとのペースで、なにかしらの病気が発生し、そのたびに日本は水産庁を通して、フランスに宮城種を提供してきた経緯がある。

そして、現在も2008年ごろから、またフランスにおいて種牡蠣(カキの赤ちゃん)が死滅する病気がではじめ、あらためて宮城種の導入を検討、2011年の3月には、その実験のための第1便(約5000個)が、フランス国立海洋研究所(イフレメール:Ifremer) に提供される予定であった。

そのための事前調査も昨年より行われていた。

が、いざ開始となるそのわずか数日前に、震災がおき、提供は当然のごとく中断、その後も放射能の影響などが危惧され、フランスは別の候補を探さねばならなくなった。

以上の経緯から、宮城種の救援復興を国を挙げて応援してくれているのである。

もういいかげん、他人を下げることで、自分を上げるのは、やめろ。
(via takaakik)
2008-06-14 2009-10-20 (via nagas)

 実際にiPhoneを分解して、その製造プロセスを証拠写真とともにブログにまとめ、アップルによるデザインのための手間と工夫を紹介しました。記事には多くの技術者からの反響があり、ブログには30件以上のコメントが書きこまれました。

 しかし残念なことに、少なくない人のご意見が、「そんなこと(背面カバーを射出成型してから内側を削ること)をやるはずがない」というものでした。何人 もの専門家と称する人たちが、いくつも理由を挙げて、アップルが別な理由でそうしていることを説明しようとしました。日本の技術者のモノ作りの常識では、 そんなことを許してもらえるはずがないので、これは工程に不具合があってやむを得ずそうしたものだと説明したりします。もちろんそれは筋が通ったものでは ありません。そんな、いかにも場当たり的な説明をわざわざ書き込んでまで、アップルがあえてコストをかけて、ここまでやっているという事実そのものを、否 定しようとします。そういう日本の技術者達の書き込みを見たときに、変えなきゃならないのは技術ではなく、彼らの頭の中身なんだと思いました。

 もちろん日本には、日本なりの優れたプラスチックの成型技術があって、非常に安いコストでヒケなどの不具合が表面に現れないようにする方法を長年に渡っ て工夫して来ました。それで成功した製品もたくさんあると思います。そういう製造コストを下げること一筋で仕事をしてきた技術者にとっては、アップルが、 コストアップをものともせず力ずくで品質を確保するようなモノ作りをしていることの意味が理解できないようです。そこまでデザインに価値があると考えるこ と自体が理解できない。でもアップルのやり方でしか、誰もが絶賛するiPhoneの滑らかな表面は実現できないのも事実なんです。

 ブログで繰り返しアップルの製造プロセスを取り上げて、それを訴えてきました。まだまだ多くの技術者が、デザインのために、つまり心地好さとか、質感と か、きれいだなと思うこととかのために技術を使うこと自体を価値あることとして認めていないんだなと感じました。もちろん日本にも、デザインを大切に考え ている技術者もたくさんいて、そうした人たちはアップルの凄さを素直に認めるのですが、まだまだ魅力的なデザインを実現する技術が自分のテリトリーの範囲 外だと考えている技術者が多すぎるように思います。